読書録『芸術を創る脳 〜美・言語・人間性を巡る対話〜』 編:酒井邦嘉
言語脳科学が専門の酒井邦嘉先生が、芸術の各分野での第一人者の方々とじっくり1章ごとに対談。(指揮者の曽我大介さん、将棋の羽生善治さん、マジシャンの前田知洋さん、画家の千住博さん)。芸術の創作と鑑賞という、人間固有の脳の働きについて、様々な芸術分野と言語と脳の働きの共通項を明らかにし、 “芸術は普遍的に人に感動を伝える力が内在する“ということを多面的に迫っている。
とにかく酒井先生が、将棋にも、音楽にも、マジックにも絵画にもとても精通していて、だからこそ、第一人者の方々から奥深いところでの話を引き出していて尊敬する。
1章ごとに、個人的に心に残った部分をハイライト。
『§1なぜ音楽は楽しいのか』 with指揮者の曽我大介さん
“奏者のバックグラウンドが多様であっても、音楽においてはキリスト教的価値観を共有している。さらに、古代ギリシャ、ローマの哲学や文化からも影響を受けている。日本人はヨーロッパ的価値観に対しては異邦人。異邦人だからこそ、定型パターンに新しいものを持ち込めるし、距離を置いてみることもできる。これが強みになる“
正直、クラシックは西洋の文化だから、西洋の音楽の文化、社会背景を学んで真似しても近づけないと思っていたけれど、日本人としての感性や、外から客観的に見ることでの解釈は強みに働くというのはとても勇気がもらえる言葉だった。さらに、
第4章の千住さんのご意見を借りれば「芸術の素晴らしいところは人間が普遍的にその美しさを感じることができる」点で、人種や宗教などで分けることがナンセンスなわけで、そこは、ある種の劣等感を感じなくてもいいのでは、と思うようになれた。
『§2なぜ将棋は深遠なのか』with羽生善治さん
“将棋では、感覚的に「この手はダメ」というのを識別する力が必要。
プロ棋士はアマチュア棋士と比べて、読んでいる手の数ではなく、選んでいる手が全然違う。一手ずつではなく、連続して手を見たときに一貫性や連続性があるかが大切(=言語でも、文章全体の中の流れでの単語の使い方が大切。)“
なるほど、論理的な思考力も大切だけど、自然か、そうでないかを判断する感覚も忘れちゃいけない=音楽も同じだ!と思った。音楽も、理論的に説明できることは大切だけれど、感覚で美しいか、どうかを反映する心の余地も残していていいのだな、と。
酒井先生
「科学が目指すものは、「真理」の探求であると同時に、自然に隠された「美」の探求。そういう点では科学も芸術の一部。別物だと決めつけるのは違う。」
羽生先生
「将棋の面白さはどうなるかわからない状況が毎回続くところ。探究心が刺激される。」“
(私はルールを少しかじった程度の教養しかないですが)、将棋は無限の探求の余地を残した、非常に芸術性が高いものだということが初めてわかった。科学も芸術も観察と探求によって美に迫っていく(科学であれば、自然現象の美しさの法則を見出していく)という点で似ているな、と納得した。
『§3なぜマジックは不思議なのか』with前田知洋さん
マジックの際の体の動かし方で大切なこと3つのうちの一つが、
“体を合理的に使うこと。理にかなった最小限の動きをすること”
(足を踏みかえずに素早く後ろを向き、動きに段をなくす。わざとらしさや力みを感じさせないなど)
バイオリンでも、力がどこにも入らない、自然にリラックスして脱力している時が、一番音が響く。さらに、日々の鍛錬・繰り返しの練習によって動きが洗練され、やりたいことが自然に表現できるようになった時にこそ、テクニックよりも音楽の方に意識を向けることができる。
『§4なぜ絵画は美しいのか』with 千住博さん
“芸術から、生きる歓びや勇気をもらえる。芸術は民族や人種を超えて良さを誰でも享受できる普遍性を備えている。文明の発展の中で積み残したものを人々に思い出させ、人間の本来の姿に調律してあげるのが文化であり、芸術家の役割である。”
現在のコロナ禍の真っ只中では、人が集まるイベントが全て中止・延期となっていて、家にこもる時間が長くなっている状態は、芸術の意義を考え直す良い機会かもしれない。
今私たち多くの人が精神的に我慢を強いられている。人と話すことも、テレビ電話と家族を除けばない。社会との窓になっているのが、web上の世界だ。しかしそこでは、ヘイトや、不安、恐れ、マイナスの感情にさせるものが多すぎる。感染がどんどん広がる状況、インターネット上で渦巻く怒りの矛先がいろんなところに向いていて、医療の現場の疲弊、危機的状況を伝え聞くうちに、心が疲れてきてしまう。
そして医療従事者やライフラインに関わる仕事など、感染リスクのプレッシャーの中働く方々もいる。私も数年違ったら医師として現場に立っていたわけで、改めて医師になる立場として、責任の重さと義務感を感じている。
誰しも、行き場のない、やりきれなさ、悔しさ、先の見えない不安と戦っている。
私はこれを機に、音楽とは、芸術とは、社会にとってどんな存在なのか。人間の心と脳にどのような影響を与えるのか、じっくり考えたいと思う。
このような苦しい状況において、現実から逃避して心を救ってくれ、励ましてくれるのは、いわゆる不要不急な文化だ。しかし芸術こそ、人々の精神の健康、社会の精神的な豊かさを作ることに大きな役割を果たしているのだな、と、今だからこそか、大きな実感が伴う。 その点において、洗練された、極められた形の芸術を提示し、感動を与えてくれる芸術家という職業に対する尊敬が増してくる。
さらに、欧米ではアジア人に対する差別が今回のCOVID-19の感染拡大で表面化した。近年のナショナリズムの傾向も相まって、もともと抑圧されていたものが表面に現れたのかもしれない。自分自身の属する性質や、自分の住む世界と異なるものを認められないという感情が原因だ。こんな時、千住先生の言葉が頭に蘇る。
“人間は多様であり、同時に同じ人間であるということ、この二重構造を伝えようとしているのが芸術。芸術は、私はこう思う、みなさんどうですか、の問いかけであり、他人と仲良くやるための知恵である。”
芸術では、オーケストラで異なる楽器や演奏者が合わさって1つの音楽空間を作り上げることや、複数の色や画材を用いて1枚の絵を構成することなど、異なるもの同士が互いに相互作用して調和していく面がある。芸術では、人間が本来多様なものであり、多様性を認めて、自分とは異なる相手を受容することが大切だということを思い出させてくれる。
とはいえ、COVID-19に関して、信頼できる情報源かどうか自分で見抜き、最新の情報を収集して、適切にウイルスを恐れ、感染症防御をすることは大切なことだ。
長期戦になりそうだが、じっくり自分に向き合える良い機会でもあると捉えて、家でゆっくり過ごそう。